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ヒエラルキーの恐怖
 企業人としていつも頭にあることがある。業界でNO.1になるには、我々はどうあるべきか。売上げを上げるには我々はどうあってはならないか。今回頂いた「直球勝負」という言葉を通して、この言葉で連想することを書いてみたい。

 まず連想することは、野球だろう。それも強腕の持ち主が想像される。江川卓は、かつて直球ストレートで勝負するピッチャーで名を馳せた。松坂大輔もそうである。そこに共通するのは、力の卓越。もちろん彼らは、変化球も持つバランスの取れたピッチャーであることに間違いはない。これに対して変化球はいわば、業師。相撲でいうならば、技のデパート、舞の海。彼が勝つと何故か嬉しくなるのは、力に対する羨望と潜在的劣等感があるためか。

 先日、社用でメキシコのカンクンに行くチャンスに恵まれた。気候は暖かく、海はきれいに澄み、国際リゾート地にふさわしい土地だ。日本からの観光客も多く、日本の若い女性の姿も多く見かける。だが、メキシコは経済難にあえぐ国で、日本の経済援助が数百万ドル単位で行われている貧しい国だ。ここでは、一般の人々の暮らしは貧しい。ヒエラルキーの頂点に立つほんの一握りの人たちが富の恩恵に浴している。海の資源は豊富だが、観光地ゆえに、人々は釣り船を出せても、漁港は持てない。ある日、友人と魚釣りに出た帰り、彼がシャワーを浴びている隙に洋服を盗まれたことがあった。人々は暮らしのため、盗みを働かなくてはならないほど激しい競争にさらされている。それでもメキシコは国際間の経済競争では負ける。この国を企業に例えるならば、社員は必死に働くが、競合他社に勝ち、優れた売上げを上げている企業には思えない。日本の若い女性に海外旅行ができるのに、ここの人々ができずに生活に窮しているのはなぜか。
 彼らの努力が不足しているのか、日本の若い女性より、彼らの個々の能力や教育や生活のための知識が劣るのか。
どうも私には、そうとは思えない。

 テレビで「小さな留学生」という番組が放映された。中国から来た小学生の話だ。日本語をまったく知らずに来て、日本を学び、再び中国に帰った小学生のドキュメントだ。印象的だったのは、中国では成績の優秀な者が級長となり、特権が与えられる。ヒエラルキーのために努力し、勉強をしている。しかし日本は、学級委員になりたければ手をあげればよいのだ。その違いをその子が中国に帰ったとき、クラスの仲間に話していた。中国は国際間の経済競争では明らかに負けている。企業でいうなれば、企業間の競争で負けているようなものだろう。個々の社員の努力が不足しているためか、個々の能力が競合他社と比べて劣るのか、やはり私にはそうは思えない。どうも考えるに、ある種の特権を持ちヒエラルキーの上に立つ人たちの規制があり、人々は自由な発想で経済活動ができず、結果として国際間の競争の場では劣性を余儀なくされてしまうのではなかろうか。

 ならば、負ける企業のイメージは、組織と言うきっと大きなヒエラルキーがあり、社員は上位職になるために働き、ある種の規制が上司からあり、個々の社員の企業活動における自由な発想が制限されている会社ではなかろうか。
 一方、優れた会社は、組織の中でいろいろなことができ、上司よりは、客や競合会社や協力会社などにまっすぐ立ち向かい、外に対して業績を上げることができる社員が、主役として構成された会社が理想ではないかろうか。
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