高齢者虐待 JIJI.COMには、『高齢者虐待1万7000件=17年度、過去最多に-厚労省調査』と題して、 厚生労働省は26日、2017年度に65歳以上の高齢者が家族や親族ら養護者から虐待を受けたと認められた件数は、前年度比4.2%増で過去最多の1万7078件だったとする調査結果を公表した。とある。
初めから話が飛ぶが、テレビでブッチャーの番組が流れていた。ブッチャーと言えば、悪役を演じたプロレスラーだ。その悪役が、涙する場面は、なんと、彼の両親に思いをはせる時だ。ブッチャーは、自分を育てるために、身を粉にして働く両親を見ている。そんな両親に心から、敬意を払い、感謝をしているのだろう。それが、年老いた両親を思う時、あの悪役をして、涙を流させる。
65歳以上を高齢者と言うならば、努力をする高齢者と、努力をしない高齢者に分けたくなる。努力をする高齢者は、人に迷惑を掛けたくないと言い、出来る事は自分で行おうとする。一方、俺は、高齢者なんだからと、縦の物を横にもしようとせず、家族に頼る。今の高齢者は、85歳くらいまでは、平均でも長生きする。ちょっと長生きする高齢者は、90才は当たり前。仮に、90-65を計算すると、25年間も有る計算になる。努力する高齢者、甘える高齢者、その25年間は、家族にとって大きな差になるのではないか。
パソコンが得意なので、高齢者にネットサーフィンで得られる情報のすばらしさを知られたくて、いろいろな企画を考える。だが、そうした企画に興味を寄せる高齢者と、「俺はいい」と興味を示さず、連絡は、電話でと、メールも使えず、そうしためんどくさい高齢者は、こちら側としては、何事に対しても辟易する。まあ、勝手な解釈だが、虐待を受けるのは、この手のめんどくさい高齢者かなと思ってしまう。
高齢になれば、自分の思う所とは逆に、身体の老化と共にいろいろな事が出来なくなる。それでもできる事は有ると思うのか、過去の自分を過大評価して、今度は面倒を見てもらう番だと、めんどくさい高齢者になってしまうのか、分かれ道が存在する様な気がする。
虐待は、それ自体が問題だが、虐待を受けた側にも、めんどくさい高齢の様な問題となる物が無かったのか、感謝もなく、人に迷惑を掛けていなかったのか、考える事は有りそうだ。