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タイトル  NPOという生き方
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「NPOという生き方」島田恒(著書)は、経済合理主義があまりにもプレゼンス(存在感)を高めているとして、「もう一つの社会」「もう一つの生き方」をNPOを通じてつくり出していくことを問うた本。

「メイクーアーウィッシュ オブジャパン」(NPO)の活動。難病の子どもたちに夢を贈りたい、子どもたちが夢を実現することによって、病気と闘う勇気をもってもらいたい。そんな願いのもとに活動しているNPOです。最大公約数的な定義は、「利潤をあげることを目的としない、公益的な活動をおこなう民間の法人組織」というものでしょう。

夜のとばりが降りると、そこはにわかに活気づきます。背広の上衣を脱いだサラリーマンで賑わっています。真剣な話からたわいのない話まで種々雑多な賑やかさです。日本人にとっては、会社は仕事場以上の意味をもっており、アメリカ人にとっての会社の範囲をはるかに超えているといえるのです。会社は、能力を提供して給料を受け取る場所であるだけでなく、人間が全人格的に関わる場所となっていたのです。そこにこそ、「産業社会」にふさわしい人間モデルを見出すことができるのです。東西冷戦が終結した一九九〇年代から日米の経済実績は逆転し、わが国の経済はバブル崩壊も手伝って、戦後かつてない低迷を続けることになりました。ITを駆使した情報化社会の進展は、アナログ的人間関係よりもデジタル的効率重視の風潮に流れています。いまクローバルーズタングートの名のもとに、日本的経営のもつ真価すら省みられなくなることに対して危機感を抱いているのです。

NPOの存在意義を問われるときに、よくいわれる解説は、「市場の失敗」と「政府の失敗」を補完する存在として、というものです。民主主義の歴史が浅いため、わが国ではいまだ個人主義の真の意味が理解されていないように見えます。権力や財力を求めて世界の歴史は動かされてきましたが、同時に自由を求める力もおおいに歴史を動かし、人間の希望をつくり出してきました。自由は気楽なものではなく、責任を伴う真摯な人間の営みということになります。日本人の特性は「甘え」にあることがよく指摘されています。甘えの感情は、独自の存在としての責任ある「私」を確立するというよりは、集団に柔らかく保護された一員になりたいという方向をとらせることになりました。その絶好の受け皿こそ、日本的経営という会社集団にほかならなかった、というのが筆者の理解です。

ボランティアは、「自発、決意、喜んでする覚悟」などの意味をあらわすラテン語voluntasに語源をもっています。義勇兵を意味することもあり、何らかの能力をもって自発的に奉仕する人ということができるでしょう。主体的に行動するボランティアにとって大切な価値が連帯性であるといえます。連帯には利他的要素が重なり合っています。専門能力を活かした貢献-事務処理、IT、プログラム開発やリーダー、各種委員や理事など、専門能力を活用したボランティアの働きは、金銭的利害から解放されているだけに、ミッションに忠実で率直な意見表明や貢献が期待できます。ボランティアが無償で活動に参加する動機については、組織の掲げるミッションに対する貢献意欲が挙げられます。ボランティア行為は楽しくなければ続かないといえますが、やはりミッションへの共感や他人との連帯感という基本がなければ長続きすることは難しいでしょう。企業と同じように、NPOも成果を追い求めます。人情や感情だけでなく、能力や機能が重要になります。ボランティアに対するコミュニケーション、感謝・配慮を豊かにし、組織のミッションがどのように成果をあげているのか、そこにボランティアがどのように貢献しているのかを示すことが重要です。そこに、組織のアカウンタビリティであるということができます。個性と信念のある人材が活躍するNPOは、自律的で柔らかい組織、上下階層の少ない組織が期待されています。

NPOの寄付要請は「モノモライ」ではありません。ミッションへの共感を求め、そこにおカネという資源をもっての参加を呼びかけることです。あえていうなら、ミッションを実現する機会をドナーに提供することです。そのように理解すると、自信をもって助成・寄付活動が始められるはずです。寄付を通してそのミッションの遂行に力を貸すことができ、自分だけではなし得ない大きな何かに連なることができるという気持ちでしょう。したがって、寄付を得るための基本は、ミッションを明確にし、それが成果を生んでいるかどうかという事実です。ミッションの重要性と成果をフィードバックすることで。「あなたの寄付がこのような成果を生み出し、なおもなすべきことが残されている」ことを伝え、寄付のお蔭で正しい成果を生み出すことができた事実の報告と感謝を伝えることです。資金集めに過度の努力を投入するのではなく、「ひとりでに」寄付が集まってくるような仕組みをつくりたいものです。それには、寄付者が寄付をするという行為を、自らの自己実現と見なすようになってもらうことです。

百年の歴史をもつわが国の公益法人は、官庁のシバリが強く、民間でありながら行政の下請化している現実も珍しいことではありません。特に社会福祉法人などは、最近まで行政からの措置費が支給され、行政が「お客さまにお金を付けてもってくる」とまでいわれることがありました。行政の定年退職者の受け入れ要請や細かい指導や口出し、事業規模に似合わない分厚い報告書の提出などが日常化していたとされています。NPOが担うべき「共」の場面でも、「公」である「お上」が上位にいて、取り仕切っている現実が垣間見られました。公益法人イコール悪とまではいわないまでも、かなりダーティーなイメージが付与されてきたようです。クライアントに対して、対価なくサービスを提供する場合に起こりやすいのです。クライアントからの苦情が表面化することが少ないからです。そこに自己満足、非効率などが生じます。自己満足は甘えを生み、革新的な活動が芽生えてきません。あまりにも長いCEOの権力、ミッションの希薄化に加えて、理事たちの名誉職意識、理事とCEOとの癒着などが問題であったといわれています。

これを読んで思う事は、ちょっと考え方の源流に当たる部分で、筆者と違うなと言う感想を持った。それを除けば、なかなか良い事を書いていると言う印象を持った。源流に当たる部分とは、何かと言えば、良いも悪いも我々は、資本主義の世界で生きているという事。それを悪い社会とみてしまっては、矛盾してしまう。ならば、社会主義に国に行けよと言う事になるが、行けば、筆者の言う自由な社会活動は出来ない。ほれ矛盾ではないかと言いたくなる。筆者に言わせれば、きっと資本主義を否定しているのではなく、その活動によって生じたひずみを和らげるためにNPOは必要なのだと言うかも知れない。その辺の立ち位置が、微妙に私とは違う気がしている。そうした立ち位置の微妙さは有れど、書いてあることは、良い事が有ると思わせられた。参考にしたい書物である。
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