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タイトル  教養としてのテクノロジー
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「教養としてのテクノロジー」伊藤穰一(著書)は、「テクノロジー」は現代社会の基盤ですと始まる。著者は、MIT(マサチューセッツエ科大学)のメディアラボで所長で、MITからは、88人のノーベル賞受賞者を輩出している、世界でも屈指の研究大学です。

シリコンバレーには世界各地から優秀な人材が集まります。彼らをサポートする起業経験を持ったアドバイザーやメンター(指導者)もいます。さらに新興企業にお金を投下するエンジェル投資家やベンチャーキャピタル(VC)が存在するなど、すばらしいエコシステム(生態系)があります。新たに生み出されるテクノロジーにより、規模を拡大するIT企業が目指すゴールの1つは、新規に株式を証券取引所に上場する「IPO」です。とにかく「スケールーイズーエブリジンク(規模こそすべて)」なのです。

AIが人間の知能を超え、コンピュータがあらゆる問題を解決してくれるはずだ。そうしたシンギュラリティヘの期待は、信じる人と信じない人に大きく分かれるものであり、また科学信奉に近いものです。社会の問題に対して、あまり深く考えず「アルゴリズムさえ良くなれば、コンピュータが全部やってくれるだろう」というのは、とても危険な考えではないかと感じます。資本主義的な「スケールーイズーエブリジンク」の考え方につながり、本来は社会を良くするためにある「情報技術の発展」や「規模の拡大」が自己目的化して、さまざまな場所で軋轢や弊害を生み出しているように思えるからです。お金のような経済的な価値のためだけに〈働く〉ことに疑問を持つ人はこれからもっと増えることになります。つまり、お金のためだけに〈働く〉のではない。「ミーニングーオブこフイフ(人生の意味)」が重要になってくるのです。

仮想通貨を支える技術として、「ブロックチェーン」に注目が集まっています。仮想通貨の背景にある流れが「暗号化」であることについて触れましたが、ブロックチェーンは仮想通貨の取引データを暗号化して、1つのブロックとして記録、管理する技術です。テクノロジーにより新たな通貨が生まれるタイミングであるため、お金について考えることがより大切になってきています。

人工知能や人間拡張のテクノロジーが発展することで、人間の果たす役割や意味が変わる可能性がある。「義足」はかつて、切断などによって失われた足の代わりにつけるものでした。しかし、科学技術の進歩により、人間が持つ足よりも能力が高い「義足」が登場しました。パラリンピックが「障害者」の競技から、「拡張者」の競技に変わったとき、必ず起こるだろうことは、「拡張することの倫理的な是非」です。新しいテクノロジーが次々と登場してくるなかで、何をして良くて、何をしてはいけないのか、ということを決めていくことは非常にむずかしいはずです。テクノロジーがあらゆる人間の拡張を可能にするなかで、注目を集めるようになったのが「トランスヒューマニズム」です。これは科学技術を使って人間の身体や認知能力を進化させ、人間を前例のない状態まで向上させようという思想です。

アメリカでは、既存の教育システムにとらわれることのない、新しい潮流が生まれている。それが学校教育の外で「いまを生きる」アンスクーリングだ。子ども自身が興味を持ったことを大事にする方法である。子どもが探求する手助けを、大人がするという新しい学び方のスタイルだ。これから、AIが仕事のあらゆるところに導入され、人間が機械に置き換えられる時代が始まります。しかし、教育システムはいまだに「ロボットのような人間」を一生懸命、育てようとしているように見えます。これまでの「労働」がAIやロボットに置き換えられ、国を超えた競争が激しくなる時代に、このようなシステムでは必要な人材が育ちません。アンスクーリングの場では、子ども自身が持つ疑問やアイデアについて、「それを解決するには、知識が必要だ」と感じることからスタートします。どうやって解決すればいいのか、チャレンジを求められるのです。インターネットが生まれる前と後では、世界はまったく変わりました。さらに、AIの登場により、なおさら未来のことが想像つきにくくなっています。「知恵」は、もはやお年寄りだけのものではありません。

日本の官僚機構や大企業とやり取りする過程で、特有の問題点に悩まされていた。最大の問題は、意思決定が遅くプロセスに時間を取られること、空気に支配されること、そしてダブルスタンダードの存在だったという。日本人は、生活のなかだけではなく、経済活動のなかでも「イノベーションしよう」「変えていこう」という意欲が薄いように思います。

これを読んで思う事は、AIとインターネットがこれからの社会を置きく変える。すでに変わり始めている。そのスピードは、秒単位かも知れない。手元のパソコンのブラウザには、右端に何やら小さなアイコンが縦に並ぶ。一番上には、Bの文字なんだろうね。開けてみて何だか分からないので、閉じてしまった。所がだ、これがAIと繋がる入口ってことを知る。一言近況で投稿される文章を見ながら、誤字脱字はもとより、言い回しや不適切な内容に関して、調べる必要が有る。そこで、素直に正しい日本をを調べてくれるサイトはどこと聞くと、ちゃんと説明付きで答えてくれる。調べると、もっと複雑な質問に対しても、ちゃんと答えられるそうだ。そうした環境が、誰でも、お金を払わずに使える。それが社会の前提なら、教育はどうあるべきなのか。歴史の年号の暗記が嫌いで、社会科が嫌いになった。あの手の暗記は、何の役に立ったのだろうか。文系が社会を支配する日本で、どんどん国際的地位の順位を落とす日本、インターネットもろくに使えない年配者と、インターネットを駆使できる年配者の差は、天地の差ほどの開きを生む。その差が大きすぎて、もはや挨拶以外は、ちゃんとした会話すら成り立たないと思う次第だ。それで良いのか、心に思う素直な感想だ。
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