「老後の生活破綻」西垣千春(著書)は、「生」の最後のときまで、自分の幸せな姿を思い描ける人はどれほどいるだろう。今、高齢期をどのように過ごすか、あるいは過ごすことができるのかという問いに、とても大きな関心が集まっている。そうした事に処方箋を与える本。国のデータはそこで暮らす一人ひとりのデータの積み上げである。早くに亡くなる人も、逆に平均寿命をはるかに上回る人も含まれているが、平均の数字から内訳はわからない。高齢期の特徴は、早いか遅いかの違いはあれ、心身機能の低下をともなうことである。能動的に人間関係を築くチャンスは狹まり、日常の生活能力も低下し、セルフマネージメソト(日常生活を維持していくうえで必要な活動を自分自身で管理すること)の能力が失われる。とくに、他者とつながり、支えてもらうことが、さまざまな場面で必要になる。高齢期の人間関係には陥りやすい危険がふたつある。それは、「孤立」と「受動的人間関係による支配」である。情報が氾濫している時代と言われるが、必要とする人に情報が届いていない現状にも目を向ける必要がある。
幸福度は「健康」「家族」「収入」で決まる。九十歳まで到達する人も、女性では約半数に近づいている。女性に比べ少ないとはいえ、男性も五人に一人は九十歳を超える。余暇の過ごし方としては、八十歳を超えると多くなるのはテレビのみで、屋内で得られる受け身の楽しみが主となる現実を示している。年代に応じたプログラムだけでなく、年代に関係なく続けられるプログラムが介護予防や生きがいづくりのなかに必要とされている。寿命が延びたとしても、自分の思い通りに体が動かなければ、前向きな生活を送ることは難しい。二〇〇八年のWHOによる調査では、日本人の要介護期間は平均約七年であると報告されている。確かに寿命は延びた。しかし、それゆえに健康に関する高齢者の悩みは増えていると言えるだろう。総世帯に占める高齢者のみの世帯の割合は、二〇一〇年には二割を上回ることが確実であり、今後も増加を続けると予想されている。年齢が上がるほど生活の範囲を広げることが難しくなる高齢者にとって、身近な地域の持つ意味は本来大きい。この地縁の弱体化は血縁の弱体化と並んで、老後の暮らしが破綻する大きな原因のひとつだろう。十分な蓄えがないまま、日々の生活を送っている高齢者にとって、生活困窮は他人事ではない。多くの高齢者にとって「経済的格差」とは、単なる「格差」ではなく、「貧困」とつながる切実な問題である。
世帯構造が変化したために家族の支えのない高齢者が増えていること、高齢者のみの世帯は年金が主な収入源であり、突発的な事態への対応が難しいこと、などの現実が見えた。その原因が見えてきた。「本人の判断力低下」「本人や、家族など大切な関係者の健康状態の変化」「近親者による経済的搾取」「子どもの失業など、周りとの関わりの変化」「事故」「詐欺被害」が主だったものである。
他の年代と高齢期の最大の違いは、健康状態の悪化が避けられないことである。自分で自分の生活を維持できないときがやってくる。そのとき生活を守れるかどうかは、人とのつながりが減る高齢者が、誰とどのように関わって失くしたものを補えるか、と関係している。認知症などによるセルフマネージメント能力の低下および突然の病・外傷が、全体の約半数を占める。本人の健康状態の悪化が生活困窮の大きな原因になっているのである。次に悪質業者や、場合によっては親族が、高齢者に無理やり近づき、お金を振り込ませる、商品を売りつけるなど、さまざまな手法で金銭を奪い取る「詐欺」が二割を占めている。七十五歳以上のいわゆる後期高齢期に入ると、生活に支障を感じる人の割合は急激に増加する。八十歳を超えると外来受診が減り、九十歳を超えると入院が外来を上回っている。積極的な健康増進よりも、維持あるいは療養が目的になっていることがうかがえる。セルフマネジメント能力の低下を補うのは、まず身近にいる人である。どれだけ頼りになる人が周囲にいるかが、人生を左右すると言っても過言ではない。いずれ夫婦のどちらかが先立ち、ひとりとなる。介護を要する状態になって子どもと同居する人もあるが、ひとりで伴侶の死、そして自分の最期を考える日々と向き合う人も多い。在宅での生活に必要な動作を自分ひとりではできなくなるときが、やがて誰にでも訪れる。それを補う大やサービスに結びつくためには、誰かがそのことに気づき、どうサポートするかを考えてくれなければならない。破綻に至るプロセスを見ると、親身に話を聞き、絡まり合う問題をほどき、解決に向けた行動に導いてくれる者が存在していない。みな経済的支援を必要としているが、もともと経済的貧困のケースではなかったという点である。
支援を必要としている人にとって、サービスを必要としているという自覚があると、サービスの内容や利用方法について知っていることである。
これを読んで思う事は、まあ、その通りですねと言う感想だ。何がそうかと言えば、経済的に安心だと思っていても、災難は、好むと好まざるに関わらず、外からやってくる。つまり、誰にでも生活破綻の危機は、あり得るのだろう。この本に出ていた連帯保証人の問題は、既に多くの人が知る事となり、頼まれたからと言って引き受ける人は居ないだろう。問題は、やはり、自分がボケてしまった場合、その途中も含めて認知の問題と言う事なのだろう。インターネットが出来れば、その過程のどこかで調べて備える事も不可能ではなさそうだ。インターネットが出来ない人は、パソコンがこの世の中に現れて、既に何十年だ、それでも出来ないのなら、しょうがないね、他の人に頼るんですねと言う事になる。その他人は、使命感を以って相談に乗ってくれれば良いが、普通はあり得ないでしょう。つまり、うかつだったと言えなくもない。そうした事が無いとしても、やはり、老後破綻の危機は無くせない。で、突然のその時どうするか、結局は、認知にならない努力を怠らない事が、最大のリスク回避となりそうだ。