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タイトル  民主主義
本文  
「民主主義」文部省(著)、西田亮介(編)は、日本の民主主義の未発達を憂いて、50年前のかつての首相・吉田茂の事はを引用する所から始まる。選挙権年齢が満二十歳以上から十八歳以上に引き下げられたが、政治を学ぶ機会がないまま、選挙権が与えられた。若人ばかりではなく、年長世代の人たちも、民主主義について学び、考え、議論する機会は限られていた。ややもすると、政権批判は良いが、それ以外の政治問題はタブーとされ、語る事も、話題にすることもご法度と言う空気が、民主主義とは対極に位置する社会主義信奉者を中心に言わせしめる。改めて、「民主主義とは何か」から始まり、ファシズムや独裁との差異、資本主義と社会主義の対立、日本における民主主義の歴史、民主主義を維持する方法論などをこの本を通じて読んでみる。

民主主義とはいったいなんだろう。それは、みんなの心の中にある。すべての人間を個人として尊厳な価値を持つものとして取り扱おうとする心、それが民主主義の根本精神である。人によってこれを理解するしかたもきわめてまちまちである。したがって、民主主義とはおよそ反対なものを民主主義だといって、それを人々に強要する場合もある。民主主義は、議員を選挙したり、多数決で事を決めたりする政治のやり方よりも、ずっと大きいものである。民主主義の反対は独裁主義である。独裁主義は権威主義ともよばれる。そこには、ほんとうに人間を尊重するという観念がない。歴史の教えるところによれば、一部の者に政治上の権威の独占を許せば、その結果は必ず独裁主義になるし、独裁主義になると戦争になりやすい。人間の平等とは、かように、すべての人々にその知識や才能を伸ばすための等しい機会を与えることである。民主主義は人間の平等を重んずるからといって、人々が社会的に全く同じ待遇を受けるのだと思ったら、大きなまちがいである。民主主義的な正しい世の中は、人間のねうちに応じた適正な配分の上にうち立てられなければならない。

民主主義の発達は、主として選挙権拡張の歴史であった。民主主義のまだ徹底していない時代には、国民に選挙権が与えられていても、その範囲は著しく限られたものであった。それは、専制政治から民主政治への移り行きの、まだ初歩の段階であった。プラトンは、おおぜいの愚者が数の力で政治を行う民主主義を排斥し、最もすぐれた理性と、最も高い批判力とを備えた哲人が政治を指導するような組織こそ、堕落した人間の魂を救う理想の国家形態であると論じた。プラトンの理想国家論は、政治の理想であるかもしれないが、これをそのまま現実に行おうとすると、必ず失敗する。なぜならば、最も賢明だと称する人に政治の全権をゆだねて、一般の国民はただその哲人の命令に服従して行けばよいというのぱ、結局は独裁主義にほかならないからである。立法権にせよ、行政権にせよ、ある決まった人たちだけが長くそれをひとり占めしていると、きっといろいろな弊害が生ずる。民主政治では、国会議員の任期を限って、たびたび総選挙を行い、それとともに政府の顔ぶれも変わるようにして、常に政治の中心に新しい水が流れこむようなくふうがしてある。民主政治を運用して行く根本のしかたが多数決であることには変わりはない。何よりもまず言論の自由を重んじなければならない。言論の自由こそは、民主主義をあらゆる独裁主義の野望から守るたてであり、安全弁である。

明治憲法の民主主義は、はなはだ不徹底なものであったことも疑いのない事実である。貴族院議員のおもなものは華族議員で、これはもとよりきわめて封建的な色彩の強いものであった。貴族院が反対すれば、法律も制定されず、予算も成立しなかった。したがって、貴族院は、国民の代表者たる衆議院の力が強くなることをことさらにおさえようとする、非民主的な制度であったといわなければならない。民主主義の立場からみて明治憲法のいちばん大きな欠陥は、陸海軍の行動については、議会も内閣もどうすることもできない点がたくさんあったという点である。いわゆる「統帥権の独立」というのがそれであって、陸軍や海軍はあらかじめ議会や内閣に相談しなくてもいろいろなことができた。そこで軍閥は、「広義国防」などということばをふりまわして、政治の実権をその手に握り、国民の権利を踏みにじって、無謀な戦争を計画するようになった。明治憲法が制定された当時にはそんなつもりはなかったにしても、後になってそのような結果を招いたことは、なんといっても明治憲法の最大の弱点であったといわなければならない。

これを読んで思う事は、随分と歴史の話が多かったと言う感想だ。民主主義をズバリ説明している文章のそれこそ、何十倍も歴史的な説明が書かれている。何故だろうという事になる。民主主義は、完全な物ではないこと、理想の政治形態ではないこと、そうした事があるために、過去の歴史の問題点をあげつらう必要が有った。そう考えるべきかもしれない。国民の為の政治が国民によってなされなければならないが、その国民が、問題であり、ダメなのであるから、歴史を語らざるを得ないと言うのが現実なのだろう。つまり、ダメな政治形態の中で、ダメの度合が専制政治よりましだからと言う程度の話だ。さて、この本は、9条をどの様な立場で見ているかを書けば、全体の立ち位置を理解するうえで検討が付く。この本は、9条を擁護する立ちであり、軍隊その物を必要ないと断じている。隣国を信頼すれば、戦争は起きないと言うのだから、ノー天気なのか、ウソつきなのか、どちらかだと断じて良さそうだ。ロシアのクリミアへの武力侵攻が2014年とすれば、この本は、それ以降の2016年に書かれている。また日本国憲法も、国民の総意によって作られたとしており、GHQが作ったとは、書かれていない。政治的意図を持って、真実を取り払った本と言うのが分かり易いかも知れない。
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