「やばいデジタル」NHKスペシャル取材班は、6人の担当ディレクターによる執筆によって書かれた。
デジタルは、私たちの社会をさらに自由に、豊かにしてくれるーー。しかし、それが実に淡い願望であったことを、私たちはいま実感させられている。デジタル化の波は、人々の分断を深め、真実を見えなくさせ、フェイクの渦に私たちを巻き込んでいった。自由で民主主義的だと思われてきたデジタル世界は、不自由で、非民主主義的な側面をあらわにしている。SNSは「感情のメディア」だとよく言われる。あっと驚いたり、悲しんだり、怒ったり。その気持ちを誰かにすぐに伝えられるよう、シェアやリツイード、「いいね」といった機能がある。内容を深く考えることなく、条件反射的に拡散は行われてしまうのだ。ディープフェイクによってネット空間に産み落とされた「偽りの自分」が、実社会で生活する「リアルな自分」を凌駕し、自身の存在を脅かす事態も起きている。
フェイクが民主主義を脅かす存在になるということを、世界中に知らしめたのが、2016年のアメリカ大統領選挙だった。2019年11月、香港では民主化を求める抗議活動が繰り広げられており、この活動をターゲットにしたフェイクが盛んに飛び交っていた。中国本土からのフェイクである。アジア担当者は、「香港の次は、2020年に行われる台湾総統選挙が、フェイクのターゲットになるのではないか」と指摘した。「反中的な主張を持つ政府に対してハッカー攻撃を仕掛けることで知られる中国の『網軍』が浸透してきたことにあります。今回総統選に出馬している韓国瑜が押し上げられ、現在市長の座についています。」 「我々調査局の分析から、この男は、おそらく福建省出身で大陸(中国)の記者でしょう。個人メディアを装って、台湾の選挙に影響を与えようとしていました。」 「今も台湾のテレビ局に所属している男が数十のフェイスブックアカウントを駆使して蔡氏を批判する動画を拡散している」という報告。社会に混乱と分断をもたらすために生み出されるフェイク。それらは、組織的に拡散され、一般市民のもとに届いている可能性も見えてきた。「ひとつのアカウントが、こんなに大量に、毎日投稿するというのは、一般のユーザーではありえません。どちらの陣営も、一部のユーザーが明確な政治的立場と組織的な特徴を示していることは明らかです。これは台湾のみならず、世界各国で起きている問題です。」 「ネット上にある政治に関するフェイクの総量が、リアルな意見の総量を超えてしまったら、何か正しく何が間違っているのか、わからなくなります。世界の民主主義は、傷つけられていくことになるのです」 これは日本も対岸の火事ではないと警鐘を鳴らす。フェイクが拡散し、それを暴こうとすれば、命の危険にさらされる。
「デジタルツイン」と呼ばれる”もう一人のあなた”を、デジタル空間に作り出し、あなたの人物像を解析することが可能だというのだ。デジタルツインには、あなたが忘れ去りたい過去も、知られたくない現在も、すべてが詰まっているのだ。「検索履歴っていうのはある一日だけのデータがあるのではなくて、どういうふうに検索が変わってきたのかというものがわかる。言ってしまえば、その人の人生の変化が見えるんですね」 グーグルが膨大なデータを収集したその先。私たちのデータはどのように利用されているのだろうか。配偶者の有無‥独身/交際中/既婚 子どもの有無‥O1歳の乳児/13歳の幼児/45歳の幼稚園児/6〜12歳の小 学生/13〜17歳 住宅所有状況‥住宅有/賃貸 買い物好き ‥バーゲン(ンター/倹約家/買い物中毒者/高級ブランド愛好者 ペット愛好家‥犬好き/猫好き など700項目に及ぶ。機械学習のレベルは高く、明示的なシグナルがなくても、人物像の推定ができるという。「グーグルを使うたびに、グーグルはあなたについて詳しくなっていく」 監視資本主義は、新たな「フロンティア」を今この瞬間も、切り開いている。「プライバシーは、もはやあなたのものではない。プライバシーは哂されている」 もし私たちの「デジタルッイン」が、悪意のある企業に渡ったらどうなるのか。国家権力が悪用したらどうなるのか。
「警察が追ってきた! 回り道をして警察をまいてくれ!」 「逃亡犯条例改正」への反対に端を発した香港のデモ。香港当局がデモ参加者を「デジタル追跡」しているからだと言われている。警察がデジタル追跡によって捜査・逮捕を行っているということは、若者たちの間ではたびたび語られているものの、当局が公式に認めているわけではない。分析対象となっているSNSのアカウントは、誰でも閲覧できる状態になっている。AIはインターネット上に公開されている情報を読み込んでいるだけなので、プライバシーの侵害にあたらないという。膨張するデジタル世界とプライバシーのせめぎ合いの末に、私たちはどこで「線引き」をするのか。2017年にコムスコープ社が行った調査結果で、幼い頃からスマホに親しんできた世代の3分の2が、「デジタルの世界にプライバシーはない」と考えていることが判明した。プライバシー意識が溶けた「ポスト・プライバシー」の時代が到来する可能性があるというのだ。
高齢化が進む日本ならではの活用事例がある。デジタル世界のもう一人の私「デジタルツイン」を自ら能動的に作り出すことによって人生を豊かにすることに役立てようという試みだ。増加が見込まれる一人暮らしの高齢者を支えることを目指している。高齢者がAIと対話を重ね、個人データを蓄積していく。そして、高齢者自身の言葉で表現された内容を基に、本人の嗜好や価値観、性格、それに日々の心理状況などを分析する。そうしてもう一人の自分である「subME」を育て上げていくことで、その日、やるべきことを提案したり自分の心身の状況を把握したりすることに役立てるという。
これを読んで思う事は、デジタルで、個人情報はある程度溶けて、漏れ出していると感じていたが、実際はそれ以上だった。Googleは、700項目に及ぶ分類で個人を評価し、データベース化している。住所はもとより、個人の年収までが、推定できる。そうして出来上がった個人像は、デジタルの世界の私と言う事で、デジタルツインと言う名前が授けられる。会員から「名簿から私の住所を削除してください」と言う依頼を時々受ける。だが、インターネットを活用している事は、住所どころかその人が自分ですら気付いていない事柄についても、把握されているという事を忘れている。会員である仲間には、住所を伏せても、その人と何のゆかりもない企業にその情報はビックデータの名の元に販売されるのだ。人はなぜ、プライバシーを求めるのか。プライバシーの範囲は、どもまでなのか。その辺の定義から見直す必要が有るように思えた。