「働かない技術」新井健一(著書)は、30代後半〜40代のミドル世代を念頭に、人生100年時代のキャリアを再点検するために必要なことは何なのか、「働かない技術」(=業務削減・効率化)のための考え方とともに、これからの時代に「企業人」として生きていくための心構えや、今後必要とされる「真の働く技術」を、解説・提案した書物。
「働き方改革」でこれから何か変わるか。現在の社会経済環境が極めて「予測不能な状態」に直面している。他業界に対して保持していた最大の参入障壁が無に帰するのだ。アマゾンのアメリカにおけるライバル企業はウォルマートだが、当該企業の売上規模をご存じだろうか。なんと60兆円である。2015年時点からみて20年以内に、日本の労働人口の49%がAI・ロボットにより代替される可能性が高い。そもそも8時間労働の根拠は、知識労働者の生産性とはまったく関係がない。これは今後、AIにバイトなみの低賃金で使われるのか、極めて専門性の高い希有な人材として、AIを高い賃金で使いこなすのかということとも対応する。
会社が求める「あるべき人材像」について議論することがある。その際、引き合いに出されるのが、「狩猟型人材」と「農耕型人材」だ。「狩猟型」リーダーは、本人の体力や知性、統率力などによって選ばれるため、必ずしも年長者である必要はない。それに対して「農耕型」リーダーは、天候不順や異常気象など、過去の事象を経験した者が重宝されるため、年長者が選ばれることも多い。日本企業の人事評価は、最終的には「評判」だと論じられてきた。農耕型社会は、契約よりも人物や人間関係、か優先される。日本の組織は放っておくと農耕型の働き方をしてしまう。単にその方が楽だし、居心地が良いからである。働き方改革の本質、それは「個人の尊厳と生涯キャリアの自己管理」である。いずれにせよ、知識労働者は教育格差が致命傷となる。日本企業では、高い処遇を保証するための形式的な基準で「働かないオジサン」が居座れるのである。働かないオジサンたちがオブザーバーとして参画しており、言いたいことを言う。彼らには、権限もないが責任もないので、それこそ言いたい放題だ。日本生産性本部がまとめた「労働生産性の国際比較」によれば、データの取得可能な1970年以降最下位を更新し続けている。
日本企業の製造現場では、原価低減のため、それこそ血がにじむようなカイゼン努力が積み重ねられてきた。しかしながら、オフィスワーカーは、管理職レベルでも職場の業務改善手法を知らないことが多い。あるべき状態をいまの職場に見出すことはできないのだ。そういう意味でも、内向きな管理職はいらないのだ。格差や階級を前提とする社会では、既得権益者はその是非を問わない。
これを読んで思う事は、日本の会社は、生産性が悪い。その主たる原因を農耕型リーダーに由来するとしている訳だ。確かに、その着想は、当たっているように思われる。そこに視点を置くため、年長者と若手では違うぞと言うハイアラーキーを構成する。そこに胡坐をかく、いらないおじさんが、組織全体の生産性を低下させる。会議に出席する事だけがその人の仕事ではないかと言うような、無責任なおじさんの偉そうな発言が、自由闊達な発言で生産性を阻害する。確かにそうだ。