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タイトル  自助論
本文  
「自助論」S.マイルズ(著)竹内均(訳)は、サミュエル・マイルスの自助論だ。あの「天は自ら助くる者を助く」の名言は、一つの真理がはっきりと示している。現代の人間は、祖先の技術や勤勉によってもたらされた豊かな財産の後継者なのである。われわれはこの財産を、損なうことなく自らの責任において守り育て、次代の人々に手渡していかねばならない。人間の優劣は、その人がどれだけ精一杯努力してきたかで決まる。自分の幸福や成功については、あくまでも自分自身が責任を持たねばならないという点だ。

人生の奥義の九割は快活な精神と勤勉にある。「習うより慣れろ」の言葉通り、同じことを何度も反復練習する必要がある。人間の進歩の速度は実にゆっくりしている。偉大な成果は、決して一瞬のうちに得られるものではない。心は目と同じくらい立派にものごとを見通せる。思慮の浅い人間には何も見えなくても、聡明な洞察力を身につけた人間は目の前の事物に深く立ち入り、その奥に横たわる真理にまで到達できる。強く期待する気持ちがあれば、それだけで可能性は現実に転化する。強い願望は、われわれが何かを成し遂げるための先触れとなる。ビジネスの成功へ至る道は、同時に常識を身につける道でもある。ここでも知識の獲得や科学研究と同じように、ねばり強い努力や勤勉が欠かせない。努力は個人の進歩や一国の文明の発展の根幹を成している。努力もせずにどんな願いでもかなえられるとしたら、人は何も望まず、それを得ようと必死になることすらないだろう。それは睨うべき最悪の生き方である。どんなビジネスにも、それを効率よく運営するのに欠かせない原則が六つある。それは、注意力、勤勉、正確さ、手際のよさ、時間厳守、そして迅速さである。

最良の教育とは、人が自分自身に与える教育である。要するに、能動的に学ぶ姿勢が肝心だ。若いころ工作や機械いじりに励むのは、人間の発達に有益な経験である。卓抜な技量は、努力によってのみ与えられる。勉強法が自分の追求する目的に適しているか、回心不乱に勉強に取り組んでいるか、勤勉が習慣となっているか――このような点こそが問題なのである。確固たる目的や目標を持っていれば、勉強も実り多いものとなる。願望だけでは何ごとも成就しない。その欲求に明確な目標を与え、それに向けて努力すべきなのだ。人間の行動は、完全に滅ぴたりはしない。たとえ肉体は露のごとく消え去っても、善悪の行動はそれぞれに相応の実を結び、将来の世代に感化を与えていくだろう。つまらぬ友と付き合うくらいなら一人で生きよ  これを処世訓として肝に銘じておきなさい。自分よりすぐれた人間か、せめて同程度の人間を友とすべきです。すぐれた人格者は、このようにいつも周囲の人間に働きかける。

人格の力は富よりも強い。立派な人格は人間の最良の特性である。教養や能力に乏しく財産の少ない人間でも、立派な人格さえ持ち合わせていれば他人に大きな影響を与えられる。「知は力なり」といわれる。だがもっと深遠な意味でいえば、人格こそが力なのである。愛情なき心、行動を伴わぬ知性、やさしさに欠けた才気-これらも確かに力ではあるが、へ夕をすると害悪をもたらすだけのものになりかねない。生活と思考に高い規準を設けて暮らす人間は、確実に進歩向上する。最高の成果を求めようと努力すれば、誰でも最初の出発点よりはるかに前進できるはずだ。世間には、人格者ぶった偽善のやからも多い。古い習慣を根だやしにするのは、歯を抜くよりはるかに厄介で、しかもいっそうの苦痛を伴う場合が多い。「立派な習慣を身につけるよう気をくばるのが、いちばん賢明な習慣」なのである。

これを読んで思う事は、人生訓ですねと言う事。確かに、「天は自ら助くる者を助く」は、当然にして必要な態度だと思う。また、天才と言われる偉人たちが、努力を怠らなかったこと、必ずしも人並み外れた頭脳の持ち主とは言えなかったこと。だがそこには、自ら定めた目標と、それに向かうひたむきで弛まぬ努力が有った事が紹介されている。「習いより慣れろ」もそうだなと思う所が大きい。最後に、「人格」について触れているが、残念ながら、人格者は、稀有な存在なのかも知れない。最後に、訳者が「年とった人たちによって読まれることを私は願うのである」と書いて、この本の訳者解説を締めくくっている。自分の人生を勘違いして、なおも気づかぬ愚か者へと言われている気がした。
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