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タイトル  あてにしない生き方
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「あてにしない生き方」井形慶子(著書)は、七六歳でしかも杖をついて歩くおばあちゃまの生きざまの紹介から始まる。欧米では大学に入る前に一年間休学して旅行やボランティア活動などをする「ギャップイヤー」と呼ばれる制度が一九九〇年代から普及し始めました。親から自立するためのステップとして、若者が異文化に触れ、見聞を広げるこの制度は、現在もイギリスの学生の五人に一人が体験しています。彼女は高校卒業後、イタリア留学を考えていましたが、戦争の混乱の中で消えてしまいました。その彼女が、今になって留学を決めたのです。日本では、高齢者と言えば、年をとるにしたがい、やりたかったことを胸のうちにしまい込み、周囲に迷惑をかけぬよう協調しながら生きることに意味があると考えます。人をあてにせず、彼女らは一人で立って生きています。「I am old. So I an Free!」そうした輝きは、病で倒れて息をひきとる瞬間まで続きます。日本では仕事から離れて連日ゴルフやパチンコに明け暮れているそうですが、何も予定のない日は一日中テレビの前でぼんやりとしている。そんな人生と、決別しましょうと書かれた本。

イギリス人は年齢に関係なく、新しいことにチャレンジする。人に負けない何らかの特技や趣味を、若い頃から大切に育む姿勢があります。「趣味が高じて」という言葉は日本にもありますが、イギリス人の暮らしを見ていくと、遊びが仕事、ひいては収入につながっていくケースがとても多いのです。イギリス人はどんな環境にあっても暮らしの周辺から仕事を作り出し、生活に必要な収入を確保していきます。イギリスの街中で日本のようなホームレスの集団を見かけたことが有りません。イギリスではキリスト教会にあるチャーチホールや古い学校の建物を利用した「シェルター」と呼ばれる寄宿舎のような施設があります。生活が困難になったホームレスのための宿泊所です。様々なボランティア団体によって運営されているため、宿泊費は一切かかりません。ホームレスに食事を配給する施設があります。キリスト教精神に基づいた「隣人を愛する」姿勢は、ひるがえっで中高年層の大きな生き甲斐になっています。日本ではいつも弱者に目が向かないまま、スローガンだけが一人歩きをしている気がします。一方で政府は、しかるべき職業機関で訓練を受けず、失業保険で遊び暮らす人々には手当をカットする方針も打ち出しました。このように国がやるべきことを進めながらも、個人の責任も明確にしていきます。日本では生活保護を受けるには、アパートに住むなどの定住所が必要だという矛盾がある。だから路上生活者は住所がないという理由で生活保護を受けられない。老齢年金や障害年金にすら加入できない。つまり日本の生活保護は、一番助けの必要な住所不定者に対して機能しないようにできている。日本人はなぜこんな使えない社会保障制度に声を上げないんだろう。問題の本質を見ようとしない日本式のやり方は、皆で見て見ぬふりをすることだと、日本に長く暮らすイギリス人は指摘します。

ロンドンと並んで地価の高いオックスフォードなどに暮らす定年退職者は、仕事を辞める前後に自宅の売却を考え、シルバーデイルなど高齢者の多い地方の町に移住することで、売買の差益を生活費にあてるのです。シルバーデイルを歩いてみると、そこは静かな海辺の町で、町の中心部には数件のB&B(民宿)やレストラン、雑貨店があるだけでした。同じ生活サイクルを持つ人だちと時間を気にせず語り合ったり、生活を助け合うことなんだ。シルバーデイルのバンガローの、海に面した玄関先には椅子やベンチが置いてありました。黙ってそこに座っていた白髪の紳士は、通りがかった人に「今日は風が強いね」などと声をかけていました。日本では依然、介護が家族の物理的・精神的な負担となっています。日本では業者に誘われるままに田舎暮らしを始めた定年退職者が、わずか数年で現地の生活をあきらめ、都会に舞い戻るという「高齢者U夕ーン」現象が話題となりました。約三〇〇〇万円出して家と土地を購入したものの、全国から集まった価値観も経歴も違う高齢者による住民同士のトラブルは、絶えることがありませんでした。自立した者同士が共に生きるコミュニティの発想を持たない日本人にとって、地方の町でいきなり小さな社会を作ることは、予想外のゆがみを生み出し、日常生活を破綻させてしまうのです。

イギリスはもとより欧米諸国では、年齢は社会生活の中でそれほど重要な意味を持ちません。イギリスでは履歴書と同時にレファレンスと呼ばれる推薦状を雇用主に提出する習慣があり、過去の雇用主からの推薦状は履歴書以上に重要視されます。日本は有能な社員を抜擢しない人事がいまだにまかり通っている。古い人事システムがはびこっているからだ。イギリスでは、年をとっても仕事は探せる。ただし、人物、能力共に他者をも認めさせること。そんな実績に輝く日々の積み重ねがあればという条件付きです。日本では「いい年をして」あるいは「年がいもなく」という言葉がよく使われます。最後は「やめなさい」という命令形で締めくくられる。日本ではこんな団魂の世代をターゲットに「オヤジの癒やし系雑誌」というジャンルが台頭し、部数を伸ばしました。どの雑誌も「古民家」「書斎」「一軒宿の温泉」「蕎麦」などひなびた風情の特集が組まれ、表紙には縁側で涼む和服姿の女優が起用されています。先進国の中で日本人以外、中高年男性を癒やすための雑誌は存在しません。日本社会は、どこか深い病巣を抱えているとも思えるのです。自分の世界を形成している妻を目の当たりにして、「家庭のマネジャーだったはずの自分は、この年になって知らぬ間に家族から解雇されていた」と、定年退職したある男性がつぶやきました。

日本の多くの高齢者たちは、孤独の中でひっそりと生きるためにバスに乗り、病院を訪ねながら何とか心のバランスを保っているのです。死ぬ時、誰に一番そばにいてもらいたいか、老衰で、あるいは不治の病で、少しずつ自分の命の灯火が消えかかっていく時、自分が誰に囲まれていたいかを想像することがあります。老後の自分の姿を漠然と想像する時、多くの日本の人は「寝たきりになったら見捨てないでくれよ」と、子どもや孫にクギを刺します。「寝たきりで八〇年まで生きるのなら、健常者として七〇歳まで生きて死んだ方がマシだ」という言葉を聞き、日本では年をとれば「寝たきり」になるといったビジョンを多くの人が抱いている事に気づきました。

これを読んで思う事は、イギリスかぁ~。正直、あまり好きにはなれない面を持っていると言うのが、私のイギリスに対する感想でした。その国の個人主義が、どんなものかも良く知らず、短い出張先での出会いやエピソードを元に、何にか、自分とは、異質なものを感じて好きになれないと思っていました。この本を読んで、実は、そうした裏側には、彼らなりの習慣が有り、それが哲学となり、当然にして、日本のそれとは違うという事だと知り、考えさせられる書物でした。老齢期をどの様に過ごすのか、これを自分に当てはめた時、あーはなりたくないと言う人生観は、有ります。だが、こうなりたいと思う人生観が現実にこの日本で出来るのかと言う不安も有ります。そんな思いを心の底で持ちながらこの本を読むと、かつてのイギリスでの出会いは、また違った解釈が出来るのかと思えます。これからの宿題であり、おそらくは、死ぬまでそのベストな回答を模索しながら行くんでしょうね。
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